被後見人としての手記

第1回(私を救ったいのちの電話)

そもそも社会的な弱者である成年後見制度を適用しようとされる本人の気持ちを、皆様方はよく理解されているのでしょうか。

今回からは、視点を変えて私自身の実例に即してお話していきたいと思います。まず、今から27年以上も前に私の母がなくなりました。そのときに、兄弟のいない私は天涯孤独になったのです。この時から、精神的に不安を借り立つようになり、家の中で引きこもりのような状況になりました。そのとき幻聴、妄想、独語がひどくなっていき、最後は幻聴にも誘われて、家にあった預貯金に関するすべての物(預金通帳、印鑑、キャッシュカード、クレジットカード、運転免許証などの身分証明書など)をすべて黒塗りのごみ袋に入れて棄却してしまいました。 

幸いにも、ご近所の世話役のおばさんが拾ってくれて、当時の私の身元引受人になってくれていた伯父に手渡ししてくれていたそうです。その方は、私の家のお隣に住まれていたので、よく弁当屋、タバコなどをもって見舞いに来てくれていましたが、体調を崩されて入院されてしまわれました。 

途端に、食べることも、大好きなたばこを吸うこともできなくなり、元気なうちには外へ出かけて、コンビニでスナックを万引きしたり、落ちた吸殻を拾い集めて、吸っていたりしました。ところが、だんだんと幻聴、妄想がひどくなっていき、引きこもりがひどく、寝たきりの状態でした。そのころに、伯父は心配して、幾度も家の前まで訪問してくれたり、電話もかけていてくれたそうです。 

さて、いよいよ体はやせ細りだんだんと衰弱していく中で、一本の電話が何度も鳴り響きました。その電話が私の一生を助けてくれた伯父からの電話だったのです。伯父は、家のそばから運転手を待たせて、自動車電話(当時は自動車電話も貴重なものでした)から、心配しなくても良い、鍵を開けてくれれば救ってあげるからというような趣旨で私を説得し、安心させて私を保護してくれています。

ところで伯父は最初に近所のおばさんより渡されていた、預金通帳で伯父の会社の近くの支店の銀行より、簡単に私の預金を下ろせると思っていたようです。ところが、遠く離れた私の登録している支店で、しかも扶養義務者審判(現在もこの制度は精神保健法上にはあります。)を受けてもらわなければならないと知り、この審判申し出申請を会社の顧問弁護士に手伝ってもらいやり遂げました。この申し出には、あとで聞きましたが、伯父自身の財産目録や業務経歴書などのほかに、扶養義務者選定の理由が必要だったそうです。

私が病院に入院するようになってから、伯父の息子や娘はもとより、父方のいとこも全員私の面倒を見るのはごめん被ると言って逃げるげてしまい、責任感ある伯父は伯父の姉にあたる伯母と連携して、成年後見制度が確立する平成12年当時まで扶養義務者登録で私を守ってくれていました。

成年後見制度の確立時に顧問弁護士の勧めもあり、私の意思確認もしたうえで専任で親族後見の申し出を行い受理されました。その後は、入退院の手続きや、医療保護入院の保護者手続きもスムーズですし、預貯金の管理や一部保険契約の解除なども私の了解を得てやってくれていました。

いわゆる法定後見人として、保佐人の伯父は大変良くやってくれていました。現在の確立した成年後見事務報告のようなものではなかったのですが、主な収支報告と財産目録だけは毎年きちんと報告してくれたようです。でも、裁判所がきちんとした、個人の会計報告のようなものを必要としていると聞き、家裁の勧めもあり顧問弁護士との複数後見人(複数保佐人)変更したのは平成13年ごろだったと思います。


ページトップへ戻る

how to build a site

第6回←▢→第8回

成年後見制度を考える会2019 All Rights Reserved.           callme@koken110.net